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2012/09/17

2012年夏季調査の目的

 本日(9/17)、シャー・アブドゥル・ラティーフ大学(SALU)にて、今回の調査についての日程や方法を相談しました。
 今回の調査の目的は、ヴィーサル・ヴァレー地区遺跡群の年代を確かめることです。
 このために、大きく2つの調査を行ないます。

 ひとつめは、遺跡群が形成され、残されている地形=砂丘の年代を知ること。このために、遺跡群が広がる砂丘の全体を踏査して、その状態を確認しながら、砂丘の砂のサンプルを採取する地点を選定します。必要に応じて、斜面を削ったり、トレンチ(試掘坑)を掘り下げます。採取したサンプルは、光ルミネッセンス法による年代測定を実施します。これは、砂丘砂に含まれる石英粒子を対象として、それが埋没した年代を明らかにするものです。また、地点ごとに、砂粒の大きさの割合や含まれる鉱物の分析を行ないます。
 これらの年代測定や分析は、砂丘が、いつ頃、どのようにできたのか、またその後、どのような変化を被ったのかを明らかにするものですが、必ずしも遺跡そのものの年代を明らかにするわけではありません。砂丘が形成され、移動したり、削られたりする過程の中で、どのように遺跡や遺物が残されたのかを確かめなければなりません。
 もちろん、そのための調査、分析も実施する予定ですが、まずは、対象となる砂丘についてその形成の年代と過程を把握することが出発点になるのです。
 ...と言っても、何のことか分かりづらいですよね。追って、もう少し詳しく解説したいと思います。
 また、ヴィーサル・ヴァレー地区にはおもに旧石器時代(10~3万年前くらい:中期~後期旧石器時代と推測しています)の遺跡が、砂丘の頂部、斜面から砂丘間の凹地に残されていますが、10kmほど北北西のドゥービ地区の砂丘には中石器時代(1万年~8千年前くらい?)の遺跡が、また東~北東のナラ川沿いの砂丘には新石器時代の遺跡が残されています。こうした、明らかに年代の異なる遺跡が残されている砂丘についても、年代や形成過程を知るための調査、分析が実施できるかどうかを確かめることも、今回の滞在期間中に行ないたいと考えています。ヴィーサル・ヴァレー地区だけでなく、一帯の砂漠の環境がどのように変化し(または変化せず)、その中で人類がどのような適応を遂げ、生活していたのかを知ることが、将来的な目標の一つだからです。
(写真は、2012年2月に予備的な発掘調査をした第85地点。比高差5mほどの小丘の上に石器集中部が残されています)

ふたつめは、考古学的に遺跡の年代を推定するための材料=特徴的な技術や形態を示す石器を表面採集により収集することです。ヴィーサル・ヴァレー地区で見つかっている100近い地点のうち、いくつかの地点を選定して、1×1mの範囲に残されている石器を一定数量以上ずつ拾い集めます。そして、そこに含まれる石器の型式、点数、細かな特徴を確認します。
 この方法では、数値的な年代を知ることはできませんが、近隣地域の資料と比較することで、おおよその年代、時代の目星をつけることは可能です。また、石器の型式、その組み合わせは、石器を使った生活の内容を復元するためにも重要な手がかりとなるでしょう。

 今回は、この二つの方法中心に、さらにいくつかの記録・分析方法を組み合わせて、ヴィーサル・ヴァレー地区に残された旧石器時代遺跡の実態を解明するための調査に取りかかります。
 現地調査は、明後日9/19から開始する予定です。

2012年度夏季調査がはじまりました

 事前にお知らせしていなかったので唐突ですが、2012年度夏季調査を開始しました。これから、約2週間の予定で、日本からは野口(考古学)、下岡(年代測定)の2名が参加、パキスタン側のマラー教授、ヴィーサル教授らと、分布調査、年代測定および堆積学的分析のためのサンプリングを行ないます。
 日本から、調査地のあるハイルプールまで、今回は2日がかりの移動でした(下岡さんは日本国内の移動があったので3日がかり)。まずは、成田から、バンコク経由でカラチまで。今回は乗り継ぎが良かったので、日付けが変わらないうちにカラチに到着です。乗り継ぎ待ちの2時間を入れて、合計14時間の移動です。
 そして、そのままカラチ泊。写真は、ホテルの朝食です。なかなか豪華なバイキング形式。早速、カレーです。
 翌日は、夕方の国内線でカラチからサッカルまで移動。双発のターボプロップ機(ATR42)で、飛行時間は1時間ちょっとなのですが、途中、モヘンジョ・ダーロ空港を経由するので、約2時間かかります。カラチ発が1時間弱遅れたので、離陸してすぐに日没となりました。
 写真は、サッカル空港に降り立った搭乗機。荷物もすべて無事到着。空港までマッラー教授に出迎えていただき、途中、教授のお兄さんの経営するレストランで夕食をとった後、シャー・アブドゥル・ラティーフ大学のゲストハウスに投宿しました。ここは、エアコン、WiFi完備できわめて快適です。
 パキスタン全土は、先々週~先週(9月第1~2週)にかけて、モンスーン後半の集中降雨に見舞われ、一部で洪水や土砂災害の被害があったそうです。ハイルプール市内も、西~南を流れるミルワー運河が増水して一部の地区が冠水したとのこと。大学までの途上、車窓から、まだ冠水している畑や住宅街の中の空き地が見られました。
 依然として湿度が高く、曇り空ですが、もう雨は降らないようです。
 本日(9/17)は、セキュリティーの登録などもろもろの手続きと、マッラー、ヴィーサル両教授と調査の段取りについての打ち合わせです。フィールドへは、明後日(9/19)から出る予定です。
 引き続き、調査の進捗状況など、本ブログで報告しますので、期待してお待ちください。

2012/09/08

南回りルートの考古学-分かっていること/分かっていないこと(4)

 少々間が空いてしまいましたが、南回りルートの考古学について引き続き解説したいと思います。さて、前回は、考古学(石器技術)と化石人骨の組み合わせについて、2005年頃までに分かっていたことを模式的な編年表に整理してみました。ここにもう一つ、重要な出来事を付け加えておきたいと思います。およそ7.5~7.3万年前に起こった、トバ火山(現在のインドネシア北西部スマトラ島に所在)の新規大噴火(YTT: Younger Toba Tuff*)です。*Toba Tephraと標記される場合もあります。
アフリカ南部アフリカ北部レヴァントアラビア南アジア東南アジアオーストラリア
12万年前石刃
細石器
ルヴァロワルヴァロワ(未到達)
8万年前石刃
細石器
ルヴァロワルヴァロワ(未到達)
7.3万年前*トバ火山大噴火(YTT)
6万年前石刃
細石器
ルヴァロワルヴァロワ(未到達)
4万年前石刃
細石器
ルヴァロワルヴァロワ不定形石器不定形石器
3万年前石刃
細石器
ルヴァロワ石刃
細石器
石刃
細石器
不定形石器不定形石器
*トバ火山新規大噴火の年代は、7.5~7.3万年前とされています。

拡大表示(Google Map、別窓)

 Google mapにトバ火山と、新規大噴火の噴出物(火山灰)の検出地点を落としてみました。青は陸上の堆積物、黄色は海底コアからの検出です(位置は「だいたい」で、精確ではありません)。見ての通り、東は南シナ海から、西はパキスタン沖のアラビア海まで分布しています。インドのいくつかの地点では、一次的な降下火山灰層の厚い堆積(最大1m)が確認されています。さらに、グリーンランドの氷床コアでも、トバ火山の新規大噴火の年代に硫化物の濃度が急激に上昇することが知られており、噴火の影響によると考えられています。まさに人類が経験した中で最大規模の噴火だったのです(こちらもご参照ください:高橋正樹「破局噴火」日本地球惑星科学連合ニュースレター(JGL)6-3:3-6ページ)
画像:現在のトバ・カルデラ(ランドサット画像)Wikimediaコモンズより(http://ja.wikipedia.org/wiki/ファイル:Toba_zoom.jpg

 この巨大噴火が人類史に与えた影響を最初に論じたのは、S.H.アンブローズ(Ambrose)です。1998年の論文では、遺伝学が示唆していた同時期の現代人の急激な人口減少の可能性(ボトルネック)やアフリカにおける遺跡数の減少などを挙げて、トバ大噴火の影響で生じた急激な気候の悪化、すなわち「火山噴火の冬」が、現代人ホモ・サピエンスに大きな打撃を与えた可能性を指摘しました(Ambrose, S. H.(1998) Late Pleistocene human population bottlenecks, volcanic winter, and differentiation of modern humans. Journal of Human Evolution,vol.34: 623-651)。

関連記事

2012/09/01

速報・インダス考古学に関する国際会議


 前回のポストから少々間が空いてしまいましたが、その間に、下記の国際会議の開催が決まりました。どこよりも早く、お知らせします。

New Horizons through novel discoveries in Indus civilization: International Conference on Indus Archaeology.
(Held at Shah Abdul Latif University Khairpur Sindh, Pakistan from February 12th 2013 to February 16th  2013). 

最新の発見にもとづくインダス文明研究の新展開-インダス考古学国際会議
(2013212日~16日、シャー・アブドゥル・ラティーフ大学、ハイルプール、パキスタン)

 会議のタイトルは「インダス文明」となっていますが、その中に「石器時代の考古学」というパネルが設けられ、旧石器~中石器時代を対象とした議論が行なわれることとなりました。このパネルは、プロジェクト・メンバーでもあるG.M.ヴィーサル教授と私(野口)がオーガナイザーとなります。インド、イギリス、アメリカ、スペインなどの研究者を招聘して、1)南アジアの前期~中期旧石器時代、2)南回りルートの現代人の拡散、3)更新性後半~完新世初頭の砂漠環境の変化と人類の適応、の3つのセッションを設ける予定で、現在、プログラムの調整を開始したところです。
 わたしたちのプロジェクト自体ははじまったばかりで、まだ議論に供することのできるデータは乏しいのですが、この機会に多くの研究者に遺跡や資料を見ていただき、今後の調査に向けて有意義な議論を深めるとともに、プロジェクトをひろく周知する機会になればと期待しています。
 今後、新たな情報が入り次第、ここで報告して行きたいと思います。
 なお、本国際会議では、開催時に論文集も同時刊行される予定です。 

(以下、趣旨説明)
 インダス考古学は、探査、発掘を通じて収集される情報とともに、最新の手法による出土遺物や遺構の分析、解読によって加えられる知見により、つねに変化している。分析技術の進歩は、過去の生活をより具体的に解き明かし、社会や文化の多様性と地域性を、集団や行動のレベルで説明することを可能にした。その上で今、すべての新発見を一同に会し、一連の歴史として捉えること
必要とされています。今般の国際会議では、いくつかのパネルがそれぞれ異なるテーマに焦点を当て、研究の進展を明らかにします。
 現在、パキスタンに属するインダス川流域は、西アジア、中央アジア、そして南アジアの交差点として、人類の出アフリカにおける重要な位置を占めていました。旧石器時代の人々がユーラシアを東へと進もうとしたとき、峻険なヒマラヤ山脈により可能なルートは南北に分割されます。そのうち南側のルートを辿った人びとは、必ずやパキスタンにその足跡を残したでしょう。人類拡散の痕跡は、研究者たちによりその文化的側面が詳細に説明されるでしょう。そして長きにわたる石器時代の最後に新石器時代の文化変化が起こり、都市文明へと続くのです。
 新たに発見、調査された都市遺跡は、非常に豊かな生活スタイルと文化的複雑さを明らかにしつつあります。長距離交易による商品は市場に蓄積されました。銅、宝石、海産の貝などは、テラコッタ、ファイアンス、装飾された宝石や金属製品などの工芸品とともに流通して文化の一部となるとともに、古代南アジアの都市からの訪問者を魅惑しただろう。交易従事者は、テラコッタもしくは金属製のパスポートを識別と認証のために与えられ、そこに刻まれた記号によりメッセージが確認されただろう。インダスの文化は、確実にある水準に達していたのである。今まさに、研究者たちはそれぞれの新たな発見を持ち寄り、共有し、議論するときである。それは、まだ解明されていないインダス文明の実態を明らかにするための重要な機会となるだろう。シャー·アブドゥル·ラティーフ大学の当局は、インダス考古学の進展に貢献するすべての研究者を歓迎します。
 なお今般の会議は、1)石器時代の考古学、2)グジャラート、ラージャスターンの考古学、3)インダスの考古学、4)インダス文明後の考古学の4つのパネルで構成される予定です。

(1) Archaeology of Stone Age, Organized by  NOGUCHI Atsushi and G.M. Vessar
(2) Archaeology of Gujarat and Rajasthan; organized by Prabodh Shirvalkar and Rajesh S.V.
(3) Archaeology of Indus land Organized by Q. H. Mallah and J.M. Kenoyer
(4) Archaeology of Post Indus to onwards organized by Mastoor Bukhari and Tasleem Abro.
(写真は、今年2月に竣工したばかりのシャー・アブドゥル・ラティーフ大学の中央校舎。学長室や会議室など最新の設備があるので、たぶん国際会議はここで開催されるのではないかと。左は、Q.H.マッラー教授。国際会議開催の中心人物)