Feed: ATOM/ RSS

2013/10/30

再び、ハイルプール

 すっかり更新が滞っておりました。前回が、英国オックスフォード大学でのワークショップへの参加予告だったので、はや半年以上経過してしまいました。この間、学会発表などを通じていろいろな方のご意見を頂戴し、またとくに印パ国境を挟んで反対側、インド・ラージャスターン州のタール砂漠で調査を続けているイギリス隊とは継続的に情報交換をするようになりました。彼らの成果はすでに公表されているので、ここで紹介したいと思います。
 またわれわれの方でも、2012年9月の調査で得た年代測定試料の処理・年代測定が完了しました。結果については、正式に論文として発表することに成りますので、ここでお知らせすることはできません。もう少々お待ちください。なお、100%期待通りというわけにはいきませんでしたが、インド側でのイギリス隊の成果と照らし合わせて納得の行くものですし、何より、ここパキスタンにおいては初めてとなる重要な成果であることは間違いありません。

 そして、年代測定結果を含めた論文をまとめるにあたって、出土・採集石器の詳細を明らかにするために、再度、ハイルプールのSALU(シャー・アブドゥル・ラティーフ大学)に来ております。今回は短い日程なので、博物館での資料調査に専念する予定ですが、幸いにも、ヴィーサル教授の後任の新館長マストゥール・ブハーリー教授(女性です)のご配慮で、エアコン付の一室を専用にあてがっていただきました。
 出土・採集石器は、マッラー教授、ヴィーサル教授のご配慮で次々に運び込まれてきますので、分類・記載・計測・写真撮影を行なっていきます。


 なかなか外を散歩する時間もありませんが、作業部屋の外は水牛がのんびり草を食んでます^^


 引き続き、こちらでの様子を報告していきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

2013/04/11

オックスフォード大学の国際ワークショップに参加します

 先日(4/7)は、やや不安な天候でしたがインド考古研究会例会での発表を無事に終えることができました。まだまだ取り組みはじめたばかりの調査研究プロジェクトなだけに、いただいたご質問には答えきれないところが少なくないのですが... これからの進展にご期待いただければと思います。

 さて、先のポストとは前後してしまいますが、今週末からイギリスへ行ってきます。今年1月のインド調査でお世話になったカルナタカ大学のラーヴィー・コリセッター教授と、教授の共同研究者であるオックスフォード大学のマイケル・ハスラム氏に招待いただき、英国アカデミーによる英印共同研究「アフリカを出て、南アジアへ: Out of Africa, Into South Asia」のワークショップに参加するためです。ワークショップはオックスフォード大学を会場として、4/16~17両日、イギリスとインドを中心とする各国の考古学者、遺伝学者、古環境研究者などが参加しする予定とのことです。本プロジェクトからは、野口が参加します。
 まだ調査を開始したばかりの本プロジェクトに注目していただき、大変ありがたいことです。それだけ、調査・情報の空白地であるパキスタンというフィールドが注目されているのだと思います。
 なお、プログラムを見ると1日目は朝8時半から夕方5時までみっちり発表、2日目は朝9時から夕方5時までラウンド・テーブルでの討論、となっています。かなりのハードスケジュールですが、またとない機会ですから、最先端の研究をたっぷり吸収して来たいと思います。
 ワークショップの内容については、追って報告したいと思います。


(画像は、現在、鋭意(?)作成中の発表資料)

 なおロンドンでは、シリアの発掘調査で一緒だった旧友と13年ぶりに再開する予定です。これもまた楽しみ^^

2013/04/07

シンポジウム「イランの旧石器」のお知らせ

 シンポジウムのお知らせです。イランで旧石器時代遺跡の発掘調査を行なっている、筑波大学の常木晃先生が、イランから研究者2名を招聘して『イランの旧石器』と題したシンポジウムが開催されます。
 本プロジェクトからも、野口が参加し、南アジアの中期/後期旧石器時代について報告する予定です。
 常木先生は、国士舘大学の大沼克彦先生らとイラン南部のタンゲ・シカン洞窟で発掘調査を行なっています。先に、第20回西アジア発掘調査報告会で最新の成果が報告されたとおり、中期旧石器から後期旧石器、晩期旧石器時代の石器群が層位的に発掘されています。そして後期旧石器時代の地層からは、3万年を遡る可能性のある細石器が見つかっているのです。これは、イランとドイツの研究者によって昨年報告されたばかりのガーレ・ブーフ洞窟に続いて2例目となるもので、アフリカ、南アジアとの関連を考える上で非常に重要な意味を持つと考えられるものです。
 イラン西部では、これまでにもヨーロッパから西アジアの地中海沿岸や、コーカサス地方と共通する特徴をもった細石器が見つかっており、もっとも古い年代はヤフテー洞窟などで3万5千年前まで遡ることが分かっていました。ところが、南西部のガーレ・ブーフ洞窟では、それとは異なった技術的特徴を持つ細石器が見つかり、その年代も4万年前まで遡ることが明らかになったのです。
 ガーレ・ブーフ洞窟やタンゲ・シカン洞窟で見つかった細石器は、インド南部やスリランカで見つかっている細石器と非常によく似ています。巻貝製のビーズなどを伴っていることも共通しています。今後、「南回りルート」の現代人の進出を考える上で重要な地域となることは間違いないでしょう。
 なお来日される2名の研究者は、テヘランの国立博物館に所属する旧石器時代の専門家です。イランの旧石器時代研究について最新の情報を知る良い機会となることでしょう。
 もちろん、本プロジェクトにとっても、インドと並ぶ重要なお隣さんです。これを機会に、情報交換を進めたいと思います。
 なお、プログラムの詳細はこちら(西アジア考古学会ホームページ、上から3件目)もご覧下さい。


2013/04/01

現代人のグレート・ジャーニー、始まりは遡るか? part1

 アフリカに出現した現代人が、いつ、どのような経路をたどって世界へ広がっていったのかを追究する研究は、考古学、化石人類学、遺伝人類学が協力し合って進められています。
 このうちもっとも確実なのは化石人類学です。年代が明らかな現代型人類の化石を見つけることで、確実な経路とその年代を知ることができるからです。しかし、人類化石を見つけることは容易なことではありません。確実な埋葬の習慣が広まる後期旧石器時代より以前、すなわち現代型人類より古いタイプの人類化石は、限られた洞窟遺跡からわずかしか見つかっていません。
 一方、考古学は遺跡や資料の数が豊富で、人類化石の証拠を補う重要な手がかりを提供することができます。ところが、石器やそのほかの考古資料だけから現代型人類とそれ以前の古いタイプの人類とを見分けるのは、実は難しいのです。考古学では、石器などの技術や形態から「型式」や「インダストリー」といったグループを見つけ出し、相互の関係を明らかにします。確実な化石証拠を伴っている資料は、「現代型人類の型式」「古いタイプの人類のインダストリー」と言うことができます。しかし、そうした識別ができない「型式」や「インダストリー」の方が多いのです。とくに、化石証拠が乏しい「南回りルート」では、どの「型式」や「インダストリー」が現代型人類の到来を示すのか、議論が続いています。

 そのような中で、1990年代後半から急速に進展したのが遺伝人類学の研究です。現代人、そして化石人骨から抽出されたDNAを比較し相互のつながりを明らかにするだけでなく、DNAの上に見られる変化が一定の速度で発生したと仮定して、異なる遺伝的特徴を持つグループが、いつごろ分化したのかを調べることが可能になったのです。
 そうした研究の成果として示された出アフリカの年代は6~4万年前ということでした。これはヨーロッパや西アジアに現代型人類の化石とそれにともなう石器インダストリーが出現する年代とも一致していたので、広く受け入れられました。
 一方で、東南アジアやオーストラリアなどで発見されていた現代型人類の化石の年代から見ると、出アフリカ後、きわめて短期間にオーストラリアまで現代人が進出したと考えなければなりません。このため、「南回りルート」では海岸沿いに、急速に人類が東へと進んだとする「沿岸特急」仮説が示されたのです。
 ところが、最近のインドやアラビア半島での考古学調査の結果からは、もっと古く10~8万年前にはすでに現代型人類が進出していたのではないか、とする説が示されるようになりました。しかし遺伝人類学の示す年代とは齟齬があります。当然、論争が巻き起こるとともに、たとえば10~8万年前に出アフリカを果たしたグループは、その後子孫を残すことなく途絶えてしまったので遺伝学的には痕跡を見出せないのではないか、といった説も示されたりしています。

 そのような中で、昨年(2012年)9/20付けのNature Review Genetics誌に掲載されたあらたな論文は、現代人の起源に関して遺伝学が示してきた年代が、古い方へと巻き戻されると指摘しました。遺伝学では、現在、および化石人骨から抽出される過去のDNAに見られる変異について、一定の速度で蓄積されると仮定します。そして、化石記録などにもとづいていくつかの基準点を設けて、変異が蓄積される速度を計算するのです。
 この論文では、最新の人類化石の年代にもとづき基準点を設定しなおして、変化の速度を再計算したと言うことで、下に引用したグラフのように、1)現代人のグループとネアンデルタールが分かれた年代、2)現代型人類の出現年代、3)出アフリカの年代、4)出アフリカ後、ヨーロッパ系とアジア系の集団が分かれた年代、がこれまでの説より古くなることを示しています(Nature誌9/20号の解説記事はこちら:英文)。
この年代は、インドやアラビア半島において考古学調査を進めていたグループから非常に好意的に受け止められています。彼らの主張をバックアップする結果なのですから、当然ですね。また遺伝人類学側でも、この「改訂年代」を支持する研究が次々に報告されています。その中で、つい最近、世界各地の旧石器時代~新石器時代の人類化石から抽出されたDNAのデータを組み込んだ研究成果が、Current Biology誌に報告されました。
 この最新の論文については、次回、解説したいと思います(続く)。

2013/03/31

西アジア発掘調査報告会で2012年調査について報告しました

 3月23・24日の2日間にわたって、東京・池袋の古代オリエント博物館を会場として開催された、「平成24年度 考古学が語る古代オリエント/第20回西アジア発掘調査報告会」で、2012年2月と9月に実施したヴィーサル・ヴァレーでの発掘調査について報告してきました。今回は、日本において発掘調査について報告する最初の機会ということで、発表時間の制約もありましたし、調査の背景から経緯、現在進行中の分析の途中成果までを簡潔(?)にまとめて発表させていただきました。もっと、現地の様子や調査の実態を詳しく知りたいと言う方は、先にご案内いたしましたインド考古研究会例会へ、ぜひお越しください。こちらでは、現地の様子など多数の写真にて詳しく報告させていただく予定です。

 それはさておき、今回の報告会では、日本隊による多数の発掘調査プロジェクトの成果が報告されました。調査の対象となる遺跡の性格や時代は多様ですが、最新の機器や方法を導入して海外隊の調査と比肩できる成果が次々と報告されています。大いに刺激を受けると同時に、予算・人員的に規模が小さな(小さ過ぎる;)本プロジェクトでも導入可能な方法を考えるよい機会となりました。
 また本プロジェクトは、パキスタン、南アジアでの調査でありますが、同じく低緯度の乾燥砂漠地帯で進められている調査の報告などは、比較研究の上でも大いに参考になります。
 今後とも、継続的に調査成果をこの報告会で発信できるようにがんばって行きたいと思います。

(報告風景の写真は、下岡順直氏にご提供いただきました。ありがとうございますm(_ _)m)

追記:PC版では、ページ右側のコラムに、学会・研究会発表情報、新刊書籍等、プロジェクトからの発信に関する情報を掲載するようにしました。ご参照ください。

(報告集の表紙)

2013/03/17

インド考古研究会のお知らせ

 今週末は第20回西アジア発掘調査報告会です。2012年に実施した調査の経緯と経過について報告いたします。なお、発掘調査時に採取した年代測定および堆積物の分析も結果が出はじめていますが、こちらについては、もう少し検討を加えてから順次報告することになります。もう少々お待ちください。

 引き続き、年度が替わって最初の土曜日、4月6日には、インド考古研究会例会でも発表します。会場は、東京メトロ丸の内線・南北線「後楽園」駅、都営地下鉄三田線・大江戸線「春日」駅と直結した文京区シビックセンター内になります。会員以外の方も、会場費・資料代(数百円)のみでご参加いただくことができます。よろしければどうぞ。

 なおインド考古研究会例会では、調査の内容はもちろんのこと、現地の風景や生活、周辺の考古遺跡の現状なども報告する予定です。旧石器時代に限らず、南アジア、パキスタンに興味をお持ちでしたらぜひお越しください。お待ちしております。


インド考古研究会例会
  日 時 :2013年4月6日(土)18:00開場 18:30~例会発表
  場 所 :文京区シビックセンター内3-A会議室
  発表者 :野口 淳
  タイトル:パキスタン・シンド州の旧石器時代遺跡群調査
:ヴィーサル・ヴァレー・プロジェクト2012」


(写真上:2012年9月の調査参加者、中央左が下岡氏、同右がマッラー教授、その右が野口)
(写真下:2012年9月の発掘風景。第42地点で試料採取用トレンチを掘削中。気温だいたい37度くらい)

2013/03/13

第20回西アジア発掘調査報告会のお知らせ

西アジア発掘調査報告会は、西アジア考古学会と古代オリエント博物館の主催による、西アジアを中心に広く周辺地域も含め日本隊が実施している考古遺跡の発掘調査の成果が発表される場です。「西アジア」とありますが、東ヨーロッパ(ブルガリア)からアラビア、イラン、中央アジア諸国、そしてパキスタンとインドまで、幅広い地域での発掘調査が対象となっています。一説によると、アレクサンドロス大王が遠征した範囲はすべて含まれるのだとか。
 今年度は、3月23・24日の両日、例年通り、池袋はサンシャインシティ文化会館にある古代オリエント博物館を会場として16件の発掘調査報告が行なわれます。わたしたちヴィーサル・ヴァレー・プロジェクトも2012年調査の成果を報告します(23日10:10~の予定です)。資料代¥1,000でどなたでも参加できますので、ご興味をお持ちの方はぜひ。今回は、カザフスタン、キルギスタン、イラン、アゼルバイジャン、トルコ、ヨルダン、パレスティナ、エジプト、ブルガリアでの調査の報告のほか、23日午後には第20回を記念する講演会、24日午後にはトルコ人研究者による講演会も催されます。
 報告会の案内: →西アジア考古学会 →古代オリエント博物館
 プログラムの詳細はこちら

2013/02/12

ネアンデルタールと現代人-交替? 淘汰? 共存?-

 南アジアから少々はなれまして、ヨーロッパはスペインにおける最新の研究成果のニュースです。 スペイン南部の「最後のネアンデルタール人」の年代を再検証した結果、従来の報告よりも1万年ほど古くなるという論文が、アメリカ科学アカデミー紀要(PNAS)の2月4日付早期版(early edition)に発表されました(リンク:本文閲覧は有料またはサインインが必要)。
 かねてから、スペイン南部のネアンデルタール人の遺跡はヨーロッパでもっとも新しい年代(3万5千~3万年前:較正年代)が報告されており、現代人がヨーロッパに進出した後、住処を追われたネアンデルタール人にとっての最後の避難地だったのではないか、とされてきました。ところが、今回発表された論文では、年代測定の試料となる骨について再検証したところ、スペイン北部のものと比べて南部のものは残り具合がよくなく、そこから抽出されたコラーゲンにもとづく年代測定結果には試料汚染の影響が大きいこと、そのために「若い」年代が測定されている可能性があることを指摘しています。その上で、条件の良い遺跡・試料に絞って再測定を行なったところ、信頼できる年代として、従来言われていたよりも1万年ほど遡る数値が得られたと言うのです。
 と、なると...ネアンデルタール人がスペイン南部から姿を消したのは、現代人が進出してくるよりも前、ということになります。したがって、ネアンデルタール人は現代人に追いやられたのではなく、ネアンデルタール人がいなくなった後に現代人が進出してきたのかも?! ましてや、現代人がネアンデルタール人を駆逐、虐殺したなどというストーリーは成り立たない?! (英語の解説記事としては、こちら:Past Horizonsもご参照ください)。
(写真は、ネアンデルタール人の復元像。独・ネアンデルタール博物館:Wikimediaコモンズより)


 さて、先にご紹介しました『ホモ・サピエンスと旧人』は、文部科学省科研費補助金「新学術領域研究」 ネアンデルタールとサピエンス交替劇の真相:学習能力の進化に基づく実証的研究(通称「交替劇科研」)により開催された同名の公開シンポジウム(2012年6月16~17日:東京大学小柴ホール)の記録集です。「交替劇科研」は、人類の進化、われわれ現代人の祖先がいつどのようにして世界各地へ広まっていったのかを、人類学、考古学だけでなく、多様な研究分野の協同により解明しようとする日本発の研究プロジェクトです(ちなみに、私・野口は公開シンポジウムにゲスト・スピーカーとして参加させていただいただけです^^;)。
 この「交替劇科研」をはじめとして、いま、世界中の先史人類学者、旧石器考古学者が注目している大きな研究テーマが、われわれ現代人の出現と旧人類との関係です。とくに調査事例も多く、研究が先行してきたヨーロッパでは、われわれの直接の祖先ではないネアンデルタール人が、およそ4万年前頃までそこかしこに暮らしていたことが知られているだけに、彼らの運命と現代人との関係が長らく議論の対象となっています。
 ひと昔前、すべての教科書や概説書には、原人の段階以降、アメリカおよびオーストラリア以外の世界各地に広がった人類は、それぞれの土地で進化していったと説明されていました(他地域進化説)。ヨーロッパでは、ネアンデルタールが現代人の祖先となった、というわけです。現代人の祖先がアフリカに登場し、そこから世界各地へ広まったとする単一起源説が遺伝人類学から提唱されたのが25年前のことです。大学生になったばかりの頃、受講した人類学の講義では、両論併記(どちらかといえば他地域進化説が強調されていた?)でした。
 その後、化石人骨から直接DNAが採取され、現代人とネアンデルタールとの間が思いのほかかけ離れていると言うことが指摘され、またアフリカにおける考古学や人類学の資料が増加すると、アフリカ単一起源説が完全に優勢になりました。その間に、上述のとおりスペイン南部の「最後のネアンデルタール人」の遺跡が現代人の進出以後の年代であると報告されたため、現代人に追いやられたネアンデルタール人がスペイン南部で細々と生き残ったとする説や、その間に両者の文化的交流があったのではないか、とか、逆に現代人により激しく駆逐されたのではないか、とか、諸説が出されていたのです。
 そして2010年、現代人とネアンデルタールの間にわずかながらも遺伝的関係があるとする論文が発表されました。しかもその関係は、アフリカの現代人たちにはほとんど見られず、アフリカ以外の現代人に認められるということから、現代人の出アフリカ後に、現代人とネアンデルタール人との間に遺伝的交流(交配)があったのではないか、ということになりました。
 といった具合に、現代人とネアンデルタール人との関係は、この25年ほどの間に次々と定説が塗り替えられ続けてきました。そして今、現代人との共存を示すと考えられた考古学・人類学の資料が見直しを要請されることになりました。この議論、決着を見るのはまだまだ時間がかかりそうです。

 ちなみに「南回りルート」では...そもそも化石人骨が見つかっていないために、ネアンデルタール人がいたのか、それとも別の種類の旧人がいたのかということからして、まだ分かっていません。どこかで化石人骨を見つけることができたら、それこそ「21世紀最大の発見」になるでしょうね。

2013/02/11

新刊書籍のご案内

 PC版で本ブログを閲覧している方は、すでにページ右上の案内(宣伝)を見ていただいていることと思いますが、このたび六一書房様から刊行された書籍に、南アジアの中期~後期旧石器時代についての一節を執筆させていただきました。
 昨年(2012年)6月に、東京大学で開催されたシンポジウムでの発表と議論を収録したものです。アフリカ・西アジアから、ヨーロッパ、北・中央・南アジア、東南アジア~オセアニア、中国、日本まで、現代型人類の出現と旧人類との交替についての最新の考古学的研究成果を、これ一冊で、しかも日本語で読むことができるという点で、これまでに類書のない画期的な書籍だと思います。ご注文はこちらから(六一書房)どうぞ。なお、部数に限りがあるそうですので、お買い求めはお早めに(販促;)。(なお、ヴィーサル・ヴァレー・プロジェクトの調査については、まだ途上なので言及していません。また別の機会に...)

 さて、自画自賛ばかりではなんですので、課題についても向き合っておかないといけないですね。
 まず、南アジアについては、確実な考古資料がまだ少ないことがあります。インドでの旧石器時代遺跡の発掘調査の歴史は古く、すでに100年を越える学史があるのですが、現在の考古学および人類学の研究が必要とする理化学年代や地学的背景の説明が欠けている資料が大多数を占めているのが現状です。このため、現代型人類の南アジアへの進出を語る際に言及される遺跡や石器群は限られたものになっているのです。
 また隣接する地域-南アジアへ至る経路、または南アジアから先へと至る経路上の、アラビア半島南部、イラン南東部や東南アジアの状況がよく分かっていないことも課題です。ヴィーサル・ヴァレー・プロジェクトは、その空白域を埋めるべく、パキスタンの遺跡での調査を進めているわけです。
 もうひとつの課題は、南アジアに限らず、旧石器考古学全般に言えることですが、人類学や遺伝学から発信される話題性抜群の議論に対して十分に応答できていないのではないか、ということです。確実な資料が少ない、とは言え、化石人骨資料に比べれば考古学資料ははるかに豊富です。しかしながら、考古学資料そのものの説明に終始してしまい、それが人類の進化や世界各地への進出とどのように関わるのかを、考古学者以外に伝えることが難しくなってしまっている側面があると思います(自戒をこめて)。たとえば、ある時代や地域に特徴的な石器群には、それぞれ考古学的な名称がつけられています。有名どころ(とは言っても仲間内の専門用語ですが)では「ムステリアン」「オーリナシアン」とか、もっと細かくなると「バチョキリアン」「セレツィアン」「ボフニシアン」「ヌビアン」等々、ほとんど「じゅげむ」の世界です。
 もっと単純に、この石器群は現代人、この石器群は旧人が作ったもの、とすっぱり言及できればよいのですが、実際のところは、化石人骨が伴わない限りなかなか難しいわけです。また人骨が出土したところで、出土状況の検証や年代など越えなければならないハードルは山ほどあります。このため、考古学者の物言いは、とても慎重なものになってしまいます。よく言えば、手堅い、でも専門家でない人から見ると歯がゆくて仕方がない、というか下手をすれば何を言っているのかまるで分からない、という事態になるわけです。
 ここが考古学者にとっての最大の悩みどころ。本ブログでも、できるかぎり分かりやすく、しかし端折らずに丁寧に解説する、ということを心がけて調査の目的や成果を解説したいと思います。

 なお、本書に書いた内容以降(つまり2012年後半から現在まで)の調査研究の進展を含めた状況については、前回のポストでご案内した、石器文化研究会例会で紹介したいと思います。興味のある方は、どなたでも参加できますので、ぜひお越しください。

2013/02/06

石器文化研究会第259回例会のご案内

 この2月から5月にかけて、2012年中の調査成果を踏まえた報告、研究発表を各所で行なわさせていただく予定となっております。スケジュール・プログラムが定まったものから、順次、ご案内させていただきます。
 まずはじめは、石器文化研究会第259回例会です。「アウト・オブ・アフリカII 南回りルートを追跡する」と題して、アラビアからインドまでの地域における最近(2012年12月まで.一部、最新の情報も追加あり?)の調査・研究動向を紹介するとともに、ヴィーサル・ヴァレーでの発掘調査、インドでの現地踏査などの成果も紹介したいと思います。なお、研究会のホームページはまだ情報が更新されていないようですので、会員向けメーリング・リストに配信された内容を以下に記しておきます。石器文化研究会の例会は、会員外でも資料代のみで参加できますので、興味をお持ちの方は、是非どうぞ!!
 なお、ヴィーサル・ヴァレーにおける調査の様子や成果の速報については、3月に予定されているインド考古研究会(日程未定)、および西アジア発掘調査成果報告会(3月23~24日)でも報告する予定です。


石器文化研究会第259回例会

日 時:2013年2月16日(土)14:00~
場 所:明治大学考古学実習室(猿楽町第二校舎3階) ※猿楽町構内案内図はこちら
題 目:「アウト・オブ・アフリカII 南回りルートを追跡する」
概 要:遺伝人類学研究の進展とともに、現代人の出アフリカ後の拡散ルートとして注目されている「南回りルート」に関する調査、研究の現状をアラビア~インドまで概観し、また関連遺跡や石器群について紹介する。

【参考文献】 野口(2013)「南アジアの中期/後期旧石器時代 「南回りルート」と地理的多様性」『ホモ・サピエンスと旧人 旧石器考古学から見た交替劇』、六一書房

写真は、インド南部ジュワラプーラム遺跡群の景観(2013年1月撮影)

2013/02/05

しばらくぶりですが、経過報告です

 あけましておめでとうございます。
 前回の投稿が夏季調査開始時だったので、丸4ヶ月以上も音沙汰なしでした。申し訳ありません、いろいろと忙しかったので(言い訳)。
 さてこの間、夏季調査はもちろん無事終了しました。3地点に4ヵ所の調査区を設定して発掘、初期の目的を達成しただけでなく、予期した以上の成果が得られました。現在は、発掘調査で得られたサンプルの分析(年代・堆積)および発掘調査データの整理を行なっているところです。
 また2012年10月からは、3Dレーザー・スキャナを利用した石器の三次元計測と解析システムを確立するための作業にも取り掛かりました。
 さらに2012年12月から2013年1月にかけて、私(野口)は、アラビア半島南部のオマーンで遺跡分布調査に従事してきました。詳しい成果はまだ公表できませんが、ここでも「南回りルート」に関連する知見が得られました、とだけ言っておきましょう。
 そしてオマーンから帰路、インド南部の重要遺跡、ジュワラプーラム遺跡群を、インド側の調査代表である、カルナタカ大学のラーヴィー・コリセッター教授のご案内で、訪問することができました。ここでは、なんと本物のYTT(新規トバ・タフ)を見て、触って、サンプルを取ってくることができました!!
 一連の調査や分析の経過や成果については、順を追って紹介していきたいと思います。できる限り定期的に更新できるようにしたいと思いますので、もう少々お待ち下さい(材料は、たくさんありますので...)。

写真は、ヴィーサル・ヴァレーでの夏季調査風景。砂丘を構成する砂層から、念願の旧石器を発掘することができました!!

 こちらは、砂丘の形成年代を知るための深掘りトレンチ。ここでも、狙い通りに砂丘の層序を捉えることができました。

地層を確認して、サンプルを採取する下岡さん。現在、日本国内で分析中です。