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2013/04/11

オックスフォード大学の国際ワークショップに参加します

 先日(4/7)は、やや不安な天候でしたがインド考古研究会例会での発表を無事に終えることができました。まだまだ取り組みはじめたばかりの調査研究プロジェクトなだけに、いただいたご質問には答えきれないところが少なくないのですが... これからの進展にご期待いただければと思います。

 さて、先のポストとは前後してしまいますが、今週末からイギリスへ行ってきます。今年1月のインド調査でお世話になったカルナタカ大学のラーヴィー・コリセッター教授と、教授の共同研究者であるオックスフォード大学のマイケル・ハスラム氏に招待いただき、英国アカデミーによる英印共同研究「アフリカを出て、南アジアへ: Out of Africa, Into South Asia」のワークショップに参加するためです。ワークショップはオックスフォード大学を会場として、4/16~17両日、イギリスとインドを中心とする各国の考古学者、遺伝学者、古環境研究者などが参加しする予定とのことです。本プロジェクトからは、野口が参加します。
 まだ調査を開始したばかりの本プロジェクトに注目していただき、大変ありがたいことです。それだけ、調査・情報の空白地であるパキスタンというフィールドが注目されているのだと思います。
 なお、プログラムを見ると1日目は朝8時半から夕方5時までみっちり発表、2日目は朝9時から夕方5時までラウンド・テーブルでの討論、となっています。かなりのハードスケジュールですが、またとない機会ですから、最先端の研究をたっぷり吸収して来たいと思います。
 ワークショップの内容については、追って報告したいと思います。


(画像は、現在、鋭意(?)作成中の発表資料)

 なおロンドンでは、シリアの発掘調査で一緒だった旧友と13年ぶりに再開する予定です。これもまた楽しみ^^

2013/04/07

シンポジウム「イランの旧石器」のお知らせ

 シンポジウムのお知らせです。イランで旧石器時代遺跡の発掘調査を行なっている、筑波大学の常木晃先生が、イランから研究者2名を招聘して『イランの旧石器』と題したシンポジウムが開催されます。
 本プロジェクトからも、野口が参加し、南アジアの中期/後期旧石器時代について報告する予定です。
 常木先生は、国士舘大学の大沼克彦先生らとイラン南部のタンゲ・シカン洞窟で発掘調査を行なっています。先に、第20回西アジア発掘調査報告会で最新の成果が報告されたとおり、中期旧石器から後期旧石器、晩期旧石器時代の石器群が層位的に発掘されています。そして後期旧石器時代の地層からは、3万年を遡る可能性のある細石器が見つかっているのです。これは、イランとドイツの研究者によって昨年報告されたばかりのガーレ・ブーフ洞窟に続いて2例目となるもので、アフリカ、南アジアとの関連を考える上で非常に重要な意味を持つと考えられるものです。
 イラン西部では、これまでにもヨーロッパから西アジアの地中海沿岸や、コーカサス地方と共通する特徴をもった細石器が見つかっており、もっとも古い年代はヤフテー洞窟などで3万5千年前まで遡ることが分かっていました。ところが、南西部のガーレ・ブーフ洞窟では、それとは異なった技術的特徴を持つ細石器が見つかり、その年代も4万年前まで遡ることが明らかになったのです。
 ガーレ・ブーフ洞窟やタンゲ・シカン洞窟で見つかった細石器は、インド南部やスリランカで見つかっている細石器と非常によく似ています。巻貝製のビーズなどを伴っていることも共通しています。今後、「南回りルート」の現代人の進出を考える上で重要な地域となることは間違いないでしょう。
 なお来日される2名の研究者は、テヘランの国立博物館に所属する旧石器時代の専門家です。イランの旧石器時代研究について最新の情報を知る良い機会となることでしょう。
 もちろん、本プロジェクトにとっても、インドと並ぶ重要なお隣さんです。これを機会に、情報交換を進めたいと思います。
 なお、プログラムの詳細はこちら(西アジア考古学会ホームページ、上から3件目)もご覧下さい。


2013/04/01

現代人のグレート・ジャーニー、始まりは遡るか? part1

 アフリカに出現した現代人が、いつ、どのような経路をたどって世界へ広がっていったのかを追究する研究は、考古学、化石人類学、遺伝人類学が協力し合って進められています。
 このうちもっとも確実なのは化石人類学です。年代が明らかな現代型人類の化石を見つけることで、確実な経路とその年代を知ることができるからです。しかし、人類化石を見つけることは容易なことではありません。確実な埋葬の習慣が広まる後期旧石器時代より以前、すなわち現代型人類より古いタイプの人類化石は、限られた洞窟遺跡からわずかしか見つかっていません。
 一方、考古学は遺跡や資料の数が豊富で、人類化石の証拠を補う重要な手がかりを提供することができます。ところが、石器やそのほかの考古資料だけから現代型人類とそれ以前の古いタイプの人類とを見分けるのは、実は難しいのです。考古学では、石器などの技術や形態から「型式」や「インダストリー」といったグループを見つけ出し、相互の関係を明らかにします。確実な化石証拠を伴っている資料は、「現代型人類の型式」「古いタイプの人類のインダストリー」と言うことができます。しかし、そうした識別ができない「型式」や「インダストリー」の方が多いのです。とくに、化石証拠が乏しい「南回りルート」では、どの「型式」や「インダストリー」が現代型人類の到来を示すのか、議論が続いています。

 そのような中で、1990年代後半から急速に進展したのが遺伝人類学の研究です。現代人、そして化石人骨から抽出されたDNAを比較し相互のつながりを明らかにするだけでなく、DNAの上に見られる変化が一定の速度で発生したと仮定して、異なる遺伝的特徴を持つグループが、いつごろ分化したのかを調べることが可能になったのです。
 そうした研究の成果として示された出アフリカの年代は6~4万年前ということでした。これはヨーロッパや西アジアに現代型人類の化石とそれにともなう石器インダストリーが出現する年代とも一致していたので、広く受け入れられました。
 一方で、東南アジアやオーストラリアなどで発見されていた現代型人類の化石の年代から見ると、出アフリカ後、きわめて短期間にオーストラリアまで現代人が進出したと考えなければなりません。このため、「南回りルート」では海岸沿いに、急速に人類が東へと進んだとする「沿岸特急」仮説が示されたのです。
 ところが、最近のインドやアラビア半島での考古学調査の結果からは、もっと古く10~8万年前にはすでに現代型人類が進出していたのではないか、とする説が示されるようになりました。しかし遺伝人類学の示す年代とは齟齬があります。当然、論争が巻き起こるとともに、たとえば10~8万年前に出アフリカを果たしたグループは、その後子孫を残すことなく途絶えてしまったので遺伝学的には痕跡を見出せないのではないか、といった説も示されたりしています。

 そのような中で、昨年(2012年)9/20付けのNature Review Genetics誌に掲載されたあらたな論文は、現代人の起源に関して遺伝学が示してきた年代が、古い方へと巻き戻されると指摘しました。遺伝学では、現在、および化石人骨から抽出される過去のDNAに見られる変異について、一定の速度で蓄積されると仮定します。そして、化石記録などにもとづいていくつかの基準点を設けて、変異が蓄積される速度を計算するのです。
 この論文では、最新の人類化石の年代にもとづき基準点を設定しなおして、変化の速度を再計算したと言うことで、下に引用したグラフのように、1)現代人のグループとネアンデルタールが分かれた年代、2)現代型人類の出現年代、3)出アフリカの年代、4)出アフリカ後、ヨーロッパ系とアジア系の集団が分かれた年代、がこれまでの説より古くなることを示しています(Nature誌9/20号の解説記事はこちら:英文)。
この年代は、インドやアラビア半島において考古学調査を進めていたグループから非常に好意的に受け止められています。彼らの主張をバックアップする結果なのですから、当然ですね。また遺伝人類学側でも、この「改訂年代」を支持する研究が次々に報告されています。その中で、つい最近、世界各地の旧石器時代~新石器時代の人類化石から抽出されたDNAのデータを組み込んだ研究成果が、Current Biology誌に報告されました。
 この最新の論文については、次回、解説したいと思います(続く)。