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2012/08/13

南回りルートの考古学-分かっていること/分かっていないこと(1)

 前回は、現代人のグレート・ジャーニーにおける「南回りルート」について、概要を記しました。繰り返しに成りますが、現代人ホモ・サピエンスが世界各地へ広がっていったルートについて、現在、もっとも注目されているのが「南回りルート」です。
 たとえば、S.オッペンハイマー著『人類の足跡10万年全史』という本の中では、かなり具体的に年代とルートが記されています。いわく、8万5千年前にアフリカの外へと旅立った現代人は、アラビア半島を経由して南アジアへ到達し、そこから世界各地へとさらに広がっていった。たとえばあるグループは、(現在のパキスタン・シンド州~パンジャーブ州の)インダス平原から北上して中央アジアやヨーロッパ方面へ向かった...云々とあります。
 では、実際のところ、このストーリーはどの程度、実証されているのでしょうか?
 まずはじめに、この本に限らず、「南回りルート」は基本的に遺伝学の研究成果として提起されていることに注意しておかなければなりません。肝心の化石人骨は、現在(2012年8月)までのところ、すべて5~4万年前より後のものが、ルートの後半にあたるスリランカ、マレーシアのボルネオ島、オーストラリアで見つかっているだけです。8万5千年前~5万年前の、アラビア半島から南アジア(インド・パキスタン)にかけての地域では、まだ化石人骨が見つかっていません。
 このため、具体的にどのような人類、集団が、いつ、どこにいたのかを、実際の資料から確かめるには至っていないのです。
 もちろん、多くの研究者が、その時代の化石人骨を探し続けています。わたしたちもあわよくば...と夢見たりもするのですが、一般的に熱帯地域は人骨が残りづらい環境条件下にあります。洞窟遺跡や、何らかの理由で急速に埋まった遺跡、しっかりとした埋葬の跡などが見つかればよいのですが、なかなか見つかりません。
 はっきりとした理由はまだ分かりませんが、南アジア~東南アジアにかけての地域では、現代人以前、すなわち中期旧石器時代以前に遡る洞窟遺跡の数はきわめて少ないのです。地形や気候の条件と、人類の暮らし方、住まい方が、より緯度が高く冷涼な地域と異なっていたのかもしれません。
 ということで、次善の策として、というよりほかに手がかりがないので、考古学資料、つまり遺跡とそこに残された遺物-この時代の場合はほとんど石器です-が重要になってくるわけです。しかしながら、こちらもまた一筋縄にはいかないわけで...
 続きは、また次回。お楽しみに。

 関連する内容について、ウェブサイトでも解説しています。
 また、以下の関連書籍もご参照ください。

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