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2012/08/14

南回りルートの考古学-分かっていること/分かっていないこと(2)

 それでは、一筋縄ではいかない、と予告した考古学資料について、少し解説しましょう。
 少し前までの教科書や概説書は、きわめてシンプルでした。だいたい、以下のようになっていたと思います(上から下に向かって新しくなります)。

 ・前期旧石器時代-礫石器・石核石器-原人
 ・中期旧石器時代-剥片石器     -旧人
 ・後期旧石器時代-石刃石器・細石器-新人
 これらの旧石器時代は、いまから1万年以上前の氷河時代に、いまでは絶滅してしまった動物(マンモスや毛サイ、オオツノジカなど)と人類が共存していた時代です。そして、骨角器や洞窟壁画、マンモスの牙製のヴィーナス像などの発達した技術や芸術は、後期旧石器時代=新人の時代に出現したと考えられています。
 その後、1万年前以降、西アジアで土器の使用や農耕がはじまって、磨製石器を使う新石器時代になりました。

 しかしながら...現在、この解説には変更が必要です。もともと、この解説はヨーロッパと西アジアを中心に組み立てられたものでした。このため、2つの地域では大きな変更は必要とされていません(年代については、年代測定法の進歩とともに書き換えられていますが)。
 一方で、アフリカやアジアなど世界各地で調査が進むにつれて、この枠組みでは説明がつかないことが多数発見されたのです。
画像:南アフリカ・ブロンボス洞窟出土の骨角器(手前),線刻のある赤土塊(中央:最古の芸術品),石器,8~7.5万年前,出典:Wikimedia commons (http://en.wikipedia.org/wiki/File:BBC-artefacts.jpg) *英語版のみ

 ところが、アフリカでも北側(エジプトやエチオピアなど)では、同じく12~8万年前には現代人ホモ・サピエンスが現われているのですが、彼ら/彼女らは、従来中期旧石器時代のものとされてきた石器を作っていたようです。さらに西アジアでも...12万年前に現われ、その後に消えてしまった現代人ホモ・サピエンスと、その後に現われたネアンデルタール人が作った石器の間には、多少の違いはあるのですが、全体として中期旧石器時代の技術で作られています。
 したがって、人骨化石が出土しなかった場合、石器だけから、その製作者が現代人なのかネアンデルタール人なのかを見分けるのはとても難しい状況です。ちなみに、西アジアで石器に大きな変化があらわれるのは、4~3万年前、つまり後期旧石器時代のはじまりの時です。

 そして西アジアより東側、南アジアや東南アジア、オーストラリアなどではもっと状況は複雑です。
 南アジアでは、西アジアやアフリカと共通する後期旧石器時代的な石器(細石器)や骨角器、ビーズなどの装身具が4~3万年前以降、現代人ホモ・サピエンスの人骨化石とともに出現します。
 東南アジアやオーストラリアでは、5~4万年前以降、現代人ホモ・サピエンスの人骨化石が出現しますが、骨角器やビーズはまだ見つかっていません。作られた石器は、アフリカ、西アジア、南アジアなどの後期旧石器時代の石器とはまったく似ていません。

 もう一度整理しましょう。
 遺伝学の成果によると、現代人ホモ・サピエンスは12~8万年前にアフリカを旅立ち、「南回りルート」で6~5万年前ころには南アジアに到達して人口を増やし、アジアやオーストラリアまで広がったということになります。
 人類学の成果によると、確実な現代人ホモ・サピエンスの化石人骨は、5~4万年前以降、南アジア、東南アジア、オーストラリアに現われます。
 考古学の成果によると、アフリカや西アジアと共通する後期旧石器時代的な石器・骨角器・装身具は4~3万年前に南アジアに現われますが、東南アジアやオーストラリアでは見つかっていません。

 もっとも確実なのは化石人骨を発見し、可能ならばそこからDNAを抽出して遺伝学の成果と比較することです。しかし、人骨が見つからなければ考古学の成果に頼るしかありません。しかし北アフリカや西アジアの例を見ても分かるとおり、現代人ホモ・サピエンスの出現は、かならずしも石器などの技術の変化とは一致しないようです。
 そこで、上記のような分野ごとの食い違いを乗り越えるために、いっそうの発掘調査が必要とされているのです。人類進化と現代人のグレート・ジャーニーへの考古学の貢献とは...世界各地で地道な発掘調査を続け、いつ・どこに・どのような考古資料(石器やほかの遺物)があるかを整理することです。考古学では、これを「編年」と呼びます。
 編年が整ったところで、化石人骨や遺伝学の成果をそこに重ね合わせれば、考古学上のどのような変化が、人類学や遺伝学が見出した変化と関連するのかどうかが分かるでしょう。考古学者が取り組むのは、このような研究なのです。

 次回は、南アジアと、そこに至る南回りルート上での考古学的発見について紹介しましょう。


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