アフリカに出現した現代人が、いつ、どのような経路をたどって世界へ広がっていったのかを追究する研究は、考古学、化石人類学、遺伝人類学が協力し合って進められています。
このうちもっとも確実なのは化石人類学です。年代が明らかな現代型人類の化石を見つけることで、確実な経路とその年代を知ることができるからです。しかし、人類化石を見つけることは容易なことではありません。確実な埋葬の習慣が広まる後期旧石器時代より以前、すなわち現代型人類より古いタイプの人類化石は、限られた洞窟遺跡からわずかしか見つかっていません。
一方、考古学は遺跡や資料の数が豊富で、人類化石の証拠を補う重要な手がかりを提供することができます。ところが、石器やそのほかの考古資料だけから現代型人類とそれ以前の古いタイプの人類とを見分けるのは、実は難しいのです。考古学では、石器などの技術や形態から「型式」や「インダストリー」といったグループを見つけ出し、相互の関係を明らかにします。確実な化石証拠を伴っている資料は、「現代型人類の型式」「古いタイプの人類のインダストリー」と言うことができます。しかし、そうした識別ができない「型式」や「インダストリー」の方が多いのです。とくに、化石証拠が乏しい「南回りルート」では、どの「型式」や「インダストリー」が現代型人類の到来を示すのか、議論が続いています。
そのような中で、1990年代後半から急速に進展したのが遺伝人類学の研究です。現代人、そして化石人骨から抽出されたDNAを比較し相互のつながりを明らかにするだけでなく、DNAの上に見られる変化が一定の速度で発生したと仮定して、異なる遺伝的特徴を持つグループが、いつごろ分化したのかを調べることが可能になったのです。
そうした研究の成果として示された出アフリカの年代は6~4万年前ということでした。これはヨーロッパや西アジアに現代型人類の化石とそれにともなう石器インダストリーが出現する年代とも一致していたので、広く受け入れられました。
一方で、東南アジアやオーストラリアなどで発見されていた現代型人類の化石の年代から見ると、出アフリカ後、きわめて短期間にオーストラリアまで現代人が進出したと考えなければなりません。このため、「南回りルート」では海岸沿いに、急速に人類が東へと進んだとする「沿岸特急」仮説が示されたのです。
ところが、最近のインドやアラビア半島での考古学調査の結果からは、もっと古く10~8万年前にはすでに現代型人類が進出していたのではないか、とする説が示されるようになりました。しかし遺伝人類学の示す年代とは齟齬があります。当然、論争が巻き起こるとともに、たとえば10~8万年前に出アフリカを果たしたグループは、その後子孫を残すことなく途絶えてしまったので遺伝学的には痕跡を見出せないのではないか、といった説も示されたりしています。
この論文では、最新の人類化石の年代にもとづき基準点を設定しなおして、変化の速度を再計算したと言うことで、下に引用したグラフのように、1)現代人のグループとネアンデルタールが分かれた年代、2)現代型人類の出現年代、3)出アフリカの年代、4)出アフリカ後、ヨーロッパ系とアジア系の集団が分かれた年代、がこれまでの説より古くなることを示しています(
Nature誌9/20号の解説記事はこちら:英文)。
この年代は、インドやアラビア半島において考古学調査を進めていたグループから非常に好意的に受け止められています。彼らの主張をバックアップする結果なのですから、当然ですね。また遺伝人類学側でも、この「改訂年代」を支持する研究が次々に報告されています。その中で、つい最近、世界各地の旧石器時代~新石器時代の人類化石から抽出されたDNAのデータを組み込んだ研究成果が、Current Biology誌に報告されました。
この最新の論文については、次回、解説したいと思います(続く)。