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2012/08/12

現代人のグレート・ジャーニー-「南回りルート」とは?


 さて、前々回(8/10)のポストでは、ヴィーサル・ヴァレー・プロジェクトの目的が、アフリカに誕生した現代人ホモ・サピエンスが、世界各地へと広がっていく「グレート・ジャーニー」の足跡を解明することにある、と締めくくりました。
 しかし、何故パキスタンなのか? ということについては、なかなかピンとこない方が多いと思います。しかし、人類学、考古学の分野では、今、パキスタンを含めた南アジアが大いに注目されているのです。
 それは、現代人が世界各地へ広まっていく過程で、「南回りルート」が重要な役割を果たしたと考えられているからです。

 現在、アフリカとアジアとの間は、エジプト北東部のスエズ半島から、イスラエル、パレスチナといった西アジアの地中海岸へと抜ける狭い連絡路があるのみです。そして、世界的に海面が大きく低下した氷河時代(最大でマイナス200m近く低下した)でも、状況は変わりませんでした。
 それならば、現代人ホモ・サピエンスがアフリカを出て世界へ広がっていったルートも、ここに決まりじゃないか? と考えたくなるところですが...
 確かに、イスラエルの遺跡(スフール洞窟)では、アフリカ大陸の外では最古の、現代人の人骨化石が発掘されています(約12万年前)。ところが、一帯は8万年前以降、おそらくヨーロッパからなんかしてきたと考えられるネアンデルタール人の居住地となります。また、アジア、ヨーロッパでは、4万年前より古い現代人の人骨は見つかっていません。
 このことから、12万年前に西アジア沿岸地方(レヴァント地方とも呼ばれます)に進出した現代人は、そこから先へ進むことはできずに、滅びたかアフリカへ戻ってしまったのではないかと考えられるようになりました。

 一方、それとは別に、遺伝学の研究が進むと、アフリカ以外の世界各地の集団が、アフリカの集団から分岐したのは8~6万年前ころではないか、と計算されるようになりました。ところが、肝心の時代(8~6万年前)、アフリカと陸続きだった西アジア沿岸、レヴァント地方はネアンデルタール人が暮らしていました。同じ時代の現代人の化石は見つかっていません。
 ということで、レヴァント地方は出アフリカ(アウト・オブ・アフリカ)のルートとは考え難いだろう、ということになりました。それでは、いったい?

 そこで注目されたのが、東アフリカから、紅海を越えてアラビア半島に至る「南回りルート」です。ここには、バーブ・エル・マンデブ海峡があって、氷河時代でも20~30kmの海を越えなければならいルートだったようですが、しかしここが有力視されるには、2つの理由がありました。
 1つめは、オーストラリア最古の現代人化石の年代が5万年前まで遡ることが明らかになったこと。そしてもう1つは、アフリカ以外の世界各地の集団の遺伝学的な故郷のひとつが南アジアではないかと推測されたことです。
 こうして、8~6万年前にアフリカを出た現代人は、「南回りルート」を経て、わずか1~3万年くらいの間にオーストラリアにまで至った、また南アジアで人口増加が起こってそこから世界各地へと分散していったとする学説が提起されたのです。とくに、海岸沿いのルートこそがもっとも移動しやすく、短期間に現代人が広まっていったのだということを強調する研究者は「沿岸特急:coastal express」という用語を使うこともあります。

 さて、これで察しの良い方はお気づきになったでしょう。
 そうです、わたしたちの調査地、パキスタン・シンド州は、その「南回りルート」の途上、それも海岸よりにあるのです。

 現代人の出アフリカについては、ウェブ・サイトでも解説しています。
 また関連して、以下の書籍などもご参照ください。

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